huyoの日記

私のかわいそうな40年間

母親の影響

母がこの世を去って約9年 いまだに親離れが出来ない私、困ったとき悲しいとき腹が立った時辛いとき母ならどうするだろう など母の考えを模索する。若い頃の母は

とても口うるさい人で私が20歳の頃まで 靴の脱ぎ方がなってない・庭の掃除の仕方

悪い・部屋の隅までゾウキン掛けしてない・などなどきりがない 父親は私が3歳の時

亡くなった、母の苦労は大変なものだったと思う

その当時日本の国は戦争に負けて食べ物もろくに無く なにもかもが不足していたそんな状態の国で父を亡くした私と兄の2人を母親が必死で育ててくれた。

 

我が家の生活が少しづつ良くなっていった頃私が小学3年生くらいだったと思う

学校から帰ると流し場の上に桃の種が1つおちていてた、母は桃が大好きで毎年のように夏がくると桃が食べたいとよく言っていた 「私の桃は?」「ゴメン1つしか買えなかった」母は申し訳なさそうに言った 私は母がどれだけ桃が食べたかったか子供心にも解っていた・・・文章にするととても物分りのいい子に聞こえるが でもそのあと暫くは桃の事を忘れられなかった

 

今年の夏も仏壇に桃を添えた