huyoの日記

私のかわいそうな40年間

大阪へ行ってきました

初めての大阪でした

東京より大阪のほうが私は好きだ

と思える事が沢山ありました、串揚げが

とても美味しかった事 すれ違う人達の大阪弁

私の村の言葉のイントネーションとよく似ている

気がした。

 

さて私の辛い40年間は始まったばかりです

長男がまだ乳飲み子だった頃の話です

長男を寝かしつける為おんぶして家の中を

行ったり来たりとしていた時 義母が立ちはだかるように

して言った言葉が「別々に生活したいで出て行って」でした

私は暫くのあいだ義母がなにを言っているのか理解できなかった

暫くしてやっと理解ができ私は義母に「主人はどうするんですか?」と私

「家の稼業がしたければあの子だけ家に来ればいい」と義母の言葉

「解りました でもお母さん私達にはお金がありませんからどんな格好の家でも

いいから探してください」と私は言った すると義母は「なんで私がそんな事しならんね」と言葉がかえってきた「それでは出ていきたくても出て行けれんわねえ」と私

くそ~~今にみてろ~今の言葉必ずいつか返してやるぞ~~~

なんと言う人間 なんと言う母親 最低な女 他人様には良くて自分を良い人に見せる

才能は全くもって天才な人 やってられねーぜ くそ女

 

今日はここまで